あるぽーる雑多めも

アウトプットブログ

わたしは不思議の環を読んでの感想

今日から思ったことをとりあえず書いてみることにした。

最初は「わたしは不思議の環」を10章まで読んで感じたことについて。

「わたしは不思議の環」はダグラス・ホフスタッターさんが書いた。ホフスタッターさんは「ゲーデルエッシャー・バッハ」(GEB)を書いた人でもあり、その著作から「私」について考えており、この本でさらに言いたいことを本にしたものである。

この本を読んで自分なりに思考実験をしてみた。

箱に入ったいくつかのビー玉が思い思いに動いている。このビー玉がランダムに動くことで、箱がまるで生物のような動きをはじめる。そのうちこの箱は思考できるようになって、自分とは何かを考え始める。そして箱はこう思った。「私は存在するのか?」

この箱は外部から切り離されているので、自分と環境の区別があり、中のビー玉の動きの一つ一つはランダムだが巨視的にみると思考している。

そもそも意識が芽生えて「私とは何か?」を考えることがなければ、この問題は生じなかっただろうに、「自分」を考え始めて悶々と悩み始めている。

生物種によって意識の程度に違いがあり、(作中ではハネカーという単位であらわされる)ネコはもしかしたら自分について考えることがないのであんなにのんびりして癒されるのかもしれない。

我を忘れるというのはこんな煩わしい無限ループから抜け出して集中できるということかもしれない。

そもそも自分という存在が偽りのものなのかもしれない。

物理的な作用から、観測できない意識が生まれることから、研究対象としにくいので「意識のハードプロブレム」と言われる。

この意識のメカニズムが解明された暁には新しいスピリチュアル的な分野が生まれるのだろうか?虚無感を覚えるのであろうか?